【大嫌い!!な柔道から教わった人生。先生ありがとう御座いました。】柔道物語!!第8章
ハロハロ〜紅き鋼です(๑>◡<๑)
皆さん‼️朗報です‼️
昨日コメントのお願いをしたところ、なんとコメントがありました‼️
えるさん‼️ありがとうございました。
応援のコメントはとても心に響きました。
そのコメントの中で「コメントを書くハードルが高いのでは?」という事があったのですが、
確かにその通りだと思いました。
何故そこまで紅き鋼はコメントにこだわるのかと言うと、心の声を聞くのが好きなんです。
対面で話しをすると相手の心の声を聞こうと色々工夫ができるのですが(相談の時とかに)、でも、文字で自分の考えを伝えたい内容って本当に伝わっているのか??
まだまだ未熟で勉強不足な紅き鋼は不安なんです。
間違った解釈をされていないか?読者に不快な思いをさせていないか?
そんな事はブログをしている方みんな‼️思っているのは重々承知しているのですが、紅き鋼は世の中のブログをしている方と同じ事はしたくないと考えてます。
人とは違う紅き鋼らしいやり方を貫きたい‼️ってこの1ヶ月ブログを書きながら考えてました。
それが世の中に通用するか分かりません。でも、やってみないと誰にも分からないと思ってます。
よく「やる前から後悔するより、やってから後悔した方が良い」って聞くじゃないですか?
この言葉すごく好きなんですが紅き鋼のは少し違うのです
「やる前から後悔するのではなくて、やりながら後悔しない様にどうすれば良いのか?を考えながら一歩ずつ進んで行けたらと思ってます。」
by 紅き鋼
やっぱり、やった後も後悔したくないと思うんです。臆病な発言かもですが、キレイ事だけでは厳しい現実には勝てないと日々感じてます。
批判な声、応援の声、意見の声、本当に一言でも大丈夫です。
皆さんの心の声を聞きたいです‼️‼️
そんな声、コメントでお待ちしてます。
m(_ _)m
前置きが長くなりました、、、、では、続きを書いていきますね。
いつものリンク貼っておきます。初めて読んでくれる方はこちらからでお願いします。
(この物語は本当に紅き鋼が経験した真実です。)
第1章
第2章
第3章
第4章
第5章
第6章
第7章
それでは心してカツモクせよ‼️‼️
第8章
高校は館長の一言で紅き鋼が逆立ちしても行けるはずのない名門校が決まりました。
そして、そんな強豪でやっていくには今のままだとやっていけない‼️と館長から言われ
何か自分の武器を持たないといけない‼️と言われました。
そして、体力‼️がお前は無い‼️走れ‼️走りまくれ!‼️
そう言われ、死ぬ気で走りました。何回も嘔吐した時もありました。それでも、諦めず走りました。
そして、今まで太っていた体は痩せ、学年で下から2番目ぐらいだった持久走、50メートル走が学年で”上位”になるまで上がりました。
体力は出来上がってきた頃、次の問題が出ました。
あのケガをした右肘が全く動かない様になりました。
ドクターいわく体の成長と人間が持つ自然治癒力というが重なって本来無いはずの骨ができていてこれを取らないとこのままだと言われました。
そして、高校の受験後すぐに2回目の手術をする事になりました。
受験は必ず受かるのですが、”形だけテストを受けてもらう”と言われ、もし5科目が100点未満だった場合、保護者と一緒に呼び出しがあると聞かせられていました。
そして、テストが終わり、その次の週に無事手術が終わり全身麻酔から目を覚ますと目の前には両親が立っていて第一声が、、、、
父「お前‼️テスト100未満で呼び出されたぞ‼️」
「入試でお前だけやぞ‼️呼び出しあったの。本人は病院ですって言ったらじゃあ保護者だけ来てくださいって学校から言われて代わりに怒られるし、もう、めちゃくちゃ恥ずかしかった」
そう言われると笑うしかありませんでしたwww
今では笑い話になりますが、当時は本当に”アホ”だったんですよwww
そして、この高校は男子校です。入学式が終わり新しい環境での練習がスタートするのですが、紅き鋼はリハビリからのスタートでした。
今回の入部員は推薦が4人、一般からの入部が6人で10人➕この高校は中学校もありそこから高校に上がって来た生徒が5人の計15人が一年生として入りました。
この中学校からの上がってきた5人は選手は大阪では有名選手で試合で当たると運が悪かったと思うしかないぐらい強かったのです。
中学生の時から全国レベルの高校生と一緒に練習するのですから弱い訳ないのです。
そして、当時のまだ中学生もいたのですが、中学生とは思えないぐらいみんな強く‼️リハビリ後は高校生とは練習させてくれませんでした。
そんな中学生と練習を始めて2年生になった時には推薦で入った子は紅き鋼だけになりました。
そして、一般で入った選手も1人だけ残りました。
その選手との出会いでまた紅き鋼の人生を大きく変えることになりました。
(その選手のことは”M選手”と書きます。)
M選手は見た目は大人しい顔をしていたのですが、気がかなり強く凶暴なチワワみたいな感じですwww
そのM選手とは生まれて始めての”ライバル”でもあり”戦友”でもあります。
辛い練習の時はお互い励まし合い、戦う時はアイツには絶対に負けたくない‼️って気持ちがお互いありまして、でも決して仲が悪かった訳ではないですよ。
そして、M選手と2つの約束しました。
1、卒業するまでにベンチプレスを100キロ上げる事
2、最後の練習で勝った方がこの3年間の勝者‼️
ベンチプレスは本当に難関でした。手術をしたとはいえ、100キロなんて夢の話しでした。
でも、M選手は70、80キロをどんどん上げていきます。
それを横で見ていて、これはまずい‼️と思い、朝早くに学校へ行きこっそり練習をしていました。
そして、3年生の時、お互いが100キロを上げることが出来、あとは戦うだけとなり
”本気で戦い”ました。
結果は引き分けでした。
最後はお互いが3年間ありがとうと言い握手を交わして”この決着は成人したらまた勝負しよう”と約束をして高校生活が終わりました。
そして、紅き鋼は進学はせずに公務員を目指して勉強、バイト、道場で柔道を後輩に教えていました。(もちろんボランティアでwww)
そんな生活を送っていたある日、M選手から久しぶりの電話がありました
M選手「久しぶり、元気にしてるか?」
紅き鋼「元気だよ。久しぶりだね。急にどうしたん?」
M選手「いや、久しぶりに声聞きたくて、せっかくだから次の日曜日飲みにでも行かない?」
紅き鋼「ごめん、次の日曜日は勉強と道場の試合に行かないと行けないから難しい。」
M選手「そうか、忙しんだね。今の生活は楽しい??」
紅き鋼「え??うん勉強は嫌やけど充実してるよ」
M選手「そうか、わかった。また連絡するね。」
このやり取りは今でも昨日の事の様に覚えています。
その当時は、なんか話したい事でもあったんかな?と思うぐらいで、また連絡あるだろうと”軽率”な考えをしていました。
そして一週間後、今度はM選手が仲が良かった柔道部の先輩から電話がありました。
紅き鋼「先輩お久しぶりです。最近なんか高校の時の人から連絡が多いですね」
「先週もM選手から電話ありましたよ」
先輩「そうか、紅き鋼‼️正直に話して欲しいことがある‼️
M選手から電話があった時何か言ってたか❓」
紅き鋼「え??今の生活楽しいか❓とか、日曜日に飲みに行こうって誘われました。」
「その日は予定があって断ったんですけど、もしかして先輩も行くのですか❓」
先輩「そうか、落ち着いて聞いて、昨日M選手が亡くなった」
第8章完
ここまでお疲れ様でした。読んで頂き、ありがとうございます。m(_ _)m
かなり気になる終わり方でしたねwww
これは本当に意外で人生の中で後悔した出来事の一つなんです。
あの時、なんでM選手の発言に違和感があった事を分かっていたのに、もっと”親身”になれなかったのかと、、、、
あの時、違和感を察知して無理にでもあって何か悩んでいたなら相談に乗らなかったのか?
そうしていたら、M選手は今も生きていたかもしれない。
すみません。少し感情的になりました。
この件がきっかけで紅き鋼は”どんな人でも親身に相談に乗ろう‼️”と思った瞬間でした。
この事は公開するか迷ったのですが、書いている最中も”指が震えて少しためらった”のですが
これも今の紅き鋼があるのはこの件があったからだと思い頑張って書いてます。
思い出しながら書いてるのですが、何年たっても涙が出そうになります。
妄想みたいに感じるかもしれませんが、本当に全て真実を書いてます。
今日は長めに書いてしまいました。この物語を書いていると止まらなくて困りますwww
明日もこの続きを書きますね‼️
是非‼️明日もお楽しみにして下さい。
ほなぁ、さいなら( ̄▽ ̄)