【人は人に何を求めるのだろうか❓】
ハロハロ〜紅き鋼です(о´∀`о)
この前話した「肉吸い」というスープを昨日作って本日食べたのが、またしても何かが足りない💦💦
次こそ❗❗祖母が作っていた味を再現してみせる❗
それでは、早速はじめよう❗❗
カツモクせよ❗❗
今日の議題ですが、「人は人に何を求めるだろうか❓」について今日は考えていました。
その考えていた事と結論を今日は書きたいと思いました。
では、はじめよう❗❗
(1)自分の利益になる事
確かにその通りだと思う。
例を上げると、バイトの店長の目線から見るとバイトの学生というのはお店に利益を出してくれる重要な存在だ。
これは結果的には店長の利益にもなる。
逆に、バイトの学生目線からではどうだろうか❓
時給での報酬で仕事を行う。何のために❓
自分の利益の為❗❗
これも結果的にはバイトの学生の利益になる。
あくまで簡単な例を上げただけですが、言葉の意味では間違ってはいないと思います。
でも、こんな単純な事だけではなく、もっとゲスい考え方をして利益を得ようとしている人もいるかもしれない。
でも、例外も存在する。
それは、ボランティアだ❗
これは完全に自分の利益ではなく、誰かの為に利益を出している素晴らしい事で、例えば、明日の仕事ボランティアで無償で働いてとお願いされて働ける人は果たしているだろうか❓
そう考えると自分の貴重な時間を使い誰かの為に何かをできる人は尊敬できる。
結論、、、利益のために皆何かをして自分、誰かの利益を生み出している。
(2)人は人から「愛」を求める
愛とは❓という問にはっきり答えを出すのは困難です。
人々が「愛」について語る時どんな回答があるだろうか❓
これについて今日は深く考えてみた。
1、相手を支えたい
どんな状況でも相手の為に「側にいたい」と思えますか❓
それが自分も苦境な道を歩むとしても「支えたい」
「相手が悲しんだり苦しんでいる姿を見たくない」
「何を置いても相手を助けたい」
と思う気持ちは「愛」がなければ湧いてきません。
どんな状況でも相手の幸せを考え、優先するのが「愛」というのならばそれは「自己犠牲」であると言い換えもできます。
2見返りを求めない
「メリットがあるから愛そう」
「愛してあげれば良いことがある」
この考えは「愛」とは呼べないのではないでしょうか❓
愛する人を目の前にした時、愛しい気持ちや大切に思う気持ちが自然と浮かんできます。
愛とは「与えて満足する」とも言えそうです。
例えば、親が子どもに愛情を注ぐのに理由があるでしょうか❓
親は「子どもを愛せること、何かしてやれること」
これに対して愛を感じるのではないでしょうか。
この事を踏まえて「愛を感じるとき」とはどんな時か❓
思いついた項目を書いてみます。
・辛い時に側にいてくれる
・自分を理解してくれる
・楽しい時に側にいる
・悲しい事を共感できた時
そんな「愛」を育むためにはどうしたらいいでしょうか❓
・小さな事でも感謝をする
・ミスや欠点を見つける前に良い所を探す
・積極的に愛情をそそぐ
結論、、、、ここに書いた事が全てではないが「愛」とは❓と改めて聞かれると紅き鋼はこう答える❗❗
「それは、愛する人を幸せにすること」
最後に調べたい事があって調べました。
人と人が出会う確率❗❗
どういう計算か分からないのですが、”76億分の1”だそうです
笑っちゃいますよねwww
そんな奇跡的な数字で出会えた事を偶然で終わらせるなんて面白くないと思いませんか❓
この76億分の1の縁、出会いを大切に思うと「愛」について何か答えがでるかもしれませんね。
なんだか真面目な話しを書いたらお腹へってきましたwww
ほなぁ、さいなら(。>﹏<。)